小椋佳さんの美しい言の葉と歌声に憧れました その2
高校に通うころの1975年、ある歌がヒットしました。
真綿色したシクラメンほど清しいものはない
アコースティックギターの印象的なイントロで始まるフォークチックなメロディライン。
美しい日本語の詩の中に、どこか寂し気な成就しない恋についてあきらめているというイメージを抱きました。
そんな歌のタイトルは「シクラメンのかほり」
ヒットチャートをにぎわしていた時、いったい誰が作ったのか気になりだした。
ふと作詞作曲を見たら「小椋佳」とありました。
さすが小椋佳、いい曲作るね。
そして「シクラメンのかほり」は見事その年のレコード大賞に選ばれました。
この曲を小椋さんが歌うと、どんな雰囲気になるのか聴きたいなと思っていたら「MBSヤングタウン」で当時銀行員だった小椋さんが、アメリカに赴任される前にマスコミの前でこの曲を歌われたのを収録したテープが存在するそうで。
それを番組で流してくれたのでラジカセに録音しました。(今は紛失してしまいましたが)
ギターとフルートによるメロディに乗せて語りかけるような歌い方は、布施さんのシクラメンとは雰囲気が違っていました。
「驚いたように振り向く君に」
のメロディが違うのはご存じの方も多いかと思いますが、サビの
「疲れを知らない子供のように」
の部分は
「疲れ知らずの子供のように」
と歌われていました。
(小椋佳のアルバムからは漏れていた「シクラメンのかほり」のちにアルバム「道草」に無理やり収録されていた。)
聴きなれた曲が新鮮に感じました。
このころから一気に小椋佳にスポットあたるようになってきたと感じました。
翌年の秋でした。NHKスペシャルで「小椋佳の世界」を放送するアナウンスがありました。
紹介の中で10月7日のNHKホールでの初コンサートの様子が映し出されました。
「俺達の旅」、「時」に新鮮さを感じ、「思い込み」、「スタンドスティル」、「ゆきどまりの海」等知らない楽曲も多かったのですが、どれもが私の心に響き渡りました。
この後1時間枠でコンサートが放送され、FMではMCも含む全編放送されました。
当時ビデオデッキは持っていませんでしたが、エアチェックは行いました。
その後2枚組のLPが発売されましたので早速購入。
20曲収録されていましたが間のMCはカットされており(アンコール部分のみ少しだけありありました)それでも小椋佳らしい構成かと納得していました。
コンサートのライブ盤として発売された「遠ざかる風景」
初期から中期のベスト曲集という内容。
収録された20曲
1 .イントロダクション
2 .しおさいの詩
3 .六月の雨
4 .俺達の旅
5 .時
6 .少しは私に愛を下さい
7 .飛べない蝙蝠
8 .思い込み
9 .スタンドスティル
10.揺れるまなざし
11.白い一日
12.ほんの二つで死んでゆく
13.遠きにありて
14.めまい
15.屋根のない車
16.身辺抄
17.ゆきどまりの海
18.シクラメンのかほり
19.木戸をあけて
20.さらば青春
- 「イントロダクション」
「しおさいの詩」のインストルメンタル。これはコンサートでは2部の開幕前で演奏されていました。若干アレンジが違いますので別テイクかと思います。当時はNHK交響楽団が演奏していたように記憶しています。
これから始まるわくわく感がたまりませんね。
- 「しおさいの詩」
歌声に緊張感が漂っている1曲目。イントロからのアコギのアレンジが素敵です。
- 「六月の雨」
テレビ放送ではカットされていました。友人の結婚式にプレゼントされた曲。
おめでたい内容ですが哀愁が漂うメロディですね。
- 「俺達の旅」
TVドラマ「俺たちの旅」の主題歌で中村雅俊さんが歌ってヒットしました。
1番の歌詞の「まばゆく白い長い壁」の部分が「まばゆく長い白い壁」と歌い分けておられます。
コンサート時は「まばゆく 白い壁」と歌詞を飛ばされていましたので、収録はリハかゲネプロ音源かと。
中村さんの歌詞は小椋佳ですが、これは青華垂さんの作詞になっています。
- 「時」
中村雅俊さんが歌った曲。安田裕美さん?のスリーフィンガーのアコギのサウンドがかっこ良いなと感じたアレンジでした。中村さんとはひと味違う語り歌的な小椋さんの表現もすばらしい。
- 「少しは私に愛をください」
コンサート時のイントロはフルートが目立っていたのですがレコードではストリングスのみになっています。
リハ音源か。でもシンプルで美しい旋律です。失恋の内容と思っていましたが、お勤めの銀行の合併による恨み節だと聞いて、驚きました。
- 「飛べない蝙蝠」
小椋さんのお気に入りの一曲だそうで、私もメロディ、詩ともに好きな楽曲です。
「すぐに気がつくだろう空の上から舞い降りる場所がない」ここ良いですね。
- 「思い込み」
星勝さんのメロディが小椋作品に新しい息吹を与えた感じがしました。
7番まである長い歌を3番の入りを間違われてやり直しになりました。
当時どこが間違ったのか、私にはさっぱりわかりませんでした。
結局3番までで歌い終わられました。
- 「スタンドスティル」
星勝さんとのデュエット。おなかだ出てきた二人のあいさつと心地よいハーモニー。
- 「揺れるまなざし」
資生堂のCMソングでヒットしましたね。真行寺君枝さんの眼力に吸い込まれていったイメージがあります。
- 「白い一日」
2部の幕開けの曲。井上陽水が作曲した作品。子供心に難しい内容に理解に苦しんだ曲です。
- 「ほんの二つで死んでゆく」
子供さんが生まれたときに作られたそうで、親戚中から非難ごうごうだったそうです。当然かと。
圧倒的なコーダの歌唱力に痺れました。
- 「遠きにありて」
歌音痴の父親がこの曲を知っていました。NHKの銀河テレビ小説の主題歌だったそうです。日本の原風景を思い出させる童謡のように感じました。
「めまい」
これも当時の私にとって難しい内容の曲です。
歌ってみても技巧的で難しいです。これをさらっと歌いきる小椋さんの歌唱力に感心しました。
- 「屋根のない車」
レコードで聴いていた時はそんなに印象的ではなかったのですが、コンサートのアレンジが素晴らしく、小椋さんの歌唱力をまざまざと見せつける曲になっていたので、再認識しました。
- 「身辺抄」
詩を朗読しているような内容で、読解力の乏しい私には当時の私にはまったく理解できなかった。
なので、よく飛ばして聴いていました。深い内容です。
- 「ゆきどまりの海」
布施明さんが歌ったそうですが、当時知りませんでした。
なんだかドラマチックな印象があります。のちにCD化された時この曲だけが漏れていました。結構好きな曲だったのでショックでした。現行盤は収録されています。
最後の曲になりました。小椋佳版のアレンジより布施明版のほうがいいのはさておき、この当時の小椋さんの歌い方はシンプルで、変な癖もなくストレートに語りかけてくる雰囲気が好きでした。
ご本人はこの曲が代表曲と言われることに納得していないようですが。
私の中ではこれと普門館のコンサート盤のシクラメンがお気に入りです。
- 「木戸をあけて」
アンコール曲。アンコールがあればどうしようの問いに「お前自分でやれ」と言われてギターの弾き語りをされた曲です。やり直しをされた記憶があります。
20.「さらば青春」
この曲がいつくるのか気になっていました。エンディングに相応しい選曲でした。
もう限界を超えて音程も安定していませんが、もっと聴いていたい名残惜しい気持ちになりました。
すべて聴き終えて、当時もうコンサートは行わないと語っておられた小椋さんでしたが
その後も活躍されていくのはご周知のことでしょう。
その小椋さんも2021年をもって引退されると聞いています。
小椋さんの楽曲は長い間私の心の拠りどころとなっていました。
新しい作品を聞くことができないのは残念ではありますが、所有しているCDはこれからも色褪せることなく私の心に響き続けることでしょう。
小椋佳さんの美しい言の葉と歌声に憧れました
小椋佳さんをご存じですか。
当時のニューミュージック界を代表するシンガーソングライターのひとり。
揚水、拓郎、小椋佳の御三家をよく聴いていました。
中学のころちょっと背伸びして、深夜ラジオなんて聴くように。
関西では当時「ABCヤングリクエスト」「ヒットでヒット・バチョンと行こう」「MBSヤングタウン」が放送されており、そのころよく耳にするジャンルが、フォークソングからニューミュージックへと呼び名が変わっていった時期でありました。
その中でひときわ私の心に突き刺さった歌声が小椋佳さんでした。
歌詞が素晴らしいのですが、理解力が極端に乏しい私にはメロディと歌声が先に入ってくるのでした。
その歌声の心地よいこと。
実は当時テレビドラマで鉄道100周年を記念した三代にわたる鉄道員家族を題材にした「大いなる旅路」が放送されていました。
SLが登場するので、それを楽しみに視聴していたのです。
オープニングのタイトルからテーマ曲が、放送当初はインストルメンタルでした。
ある日このメロディに歌が付いたのです。
「旅は長く遠く肩の荷重く、時に耐えかねて涙を拭けば
胸の奥に熱く何かが騒いだ、あの日とめどなくあふれた夢さ」
この歌の虜になってしまったのでした。
誰が歌っているのか。
「小椋佳」・・・・何と読むのだ!
学校で同級生に聞いたら「おぐらけい」とすんなり答えてくれました。あらショック。
テレビからラジカセに録音して何度も何度も繰り返し聴きまくってました。
そんなある日ラジオから聞き覚えのある歌声が。
まぎれもなく小椋佳さんの歌でした。
「しおさいの詩」「さらば青春」「春の雨はやさしいはずなのに」等など。
続く
写真を始めたきっかけ 昭和42年ごろのSLの雄姿を撮影したネガをデジタル化してみた
曾祖父は16mmや8mmフィルムの動画撮影をやっていたのを子供のころから見ていました。
その影響からか10歳ぐらいからカメラに興味を持ち出し、おもちゃのようなカメラで愛犬の写真などを撮り始めました。
当時住んでいた自宅から機関区に近かったのもあったが、ひょんなことからSLを被写体として魅力的な存在になり、時間と小遣いの許す限り撮影に出かけました。
当然のことながら構図などのテクニックはまったく知識がなく、ただSLに向かってシャッターを切るのみ。
それでも十分満足していました。
ところが段々と形式写真でだけでなく、雑誌に掲載されているような風景を絡めた写真が撮りたくなってきました。
続く